カレーと給食

給食の中で一番好きだったメニューは?と聞かれ、カレーと答える人は多いのではないでしょうか?
給食のカレーは家や店で食べるカレーとはまた違った味わいがします。その理由は大きな鍋で一度に大量を作るから。約150~200人分もの材料や調味料を一度に煮込むため、旨みがよく出るのだそうです。味も具材に染み込みやすく、全体にまろやかで優しい風味が広がるというわけです。

学校給食が始まったのは太平洋戦争後。その頃は米不足のため給食にご飯を出せず、パンが主食でした。現在カレーはごはんにかけて食べるもの、という認識が定着していますから、ご飯がないとカレーは食べられないのでは?なんて思った方もいるでしょう。ところがカレーとシチューはやはり子ども達の間で圧倒的に人気が高く、パンとカレーの組み合わせで美味しく食べていたということです。

カレールウはまだ登場していなかったので、水で溶いた小麦粉とカレー粉をベースに作られました。人参、じゃがいも、たまねぎ、こま切れ肉などの美味しくて栄養のある具がたっぷり入っているというのも、成長期の子ども達に喜ばれる要因の一つだったのではないでしょうか。

ちなみに1982年1月22日は『カレー給食の日』です。全国の小・中学校の給食で文部省の後援による全国統一メニューが実施され、カレーライスが初メニューに選ばれました。しかし給食の管理化、管理教育といった問題が出てきたため賛否両論が対立し、実際にカレー給食の日を実施したのは全国の学校の約6割だったといいます。
カレーと給食にはこんな珍しい歴史があったのですね。

空の上でカレー

日本からインドへの航空路線は、いずれもエア・インディアの運行になります。そしてこの飛行機の機内食としてカレーがメニューに加えられているのです。
チキン、シュリンプ、マトンのほかベジタリアン用のカレーも用意され、このカレーをライスやチャパティなどで味わいます。いずれも本格派の味で評判は上々。作っているのは日本のコックなのですが、レシピはボンベイの本社にて作られています。詳細にスパイスの調合などが指示され、3ヶ月ごとに見直されるというこだわりが味にも反映された逸品です。
他にはタイ国際航空やビーマン・バングラデシュ航空などでカレーがメニューとして出されているようです。タイ国際航空も本格派の味を追求しているようで、機内で十分にタイ料理を満喫した気分になるとか。

対して、日本ではどうでしょうか。日本航空では機内食としてカレーをメニューに加えています。これはカレーが大好きな日本人へのはからいで、これもなかなか好評なよう。海外便ではニューヨーク線、パリ線、フランクフルト線などでカレーが選択できますがエコノミークラスではカレーライスは食べられません。
空の上で食べるカレーは、地上で食べるカレーと違ってそれだけで特別に思えますね。

カレーパン

以前、カレーうどんの記事を書きましたが、カレー○○という食べ物は本当に色々あるものです。
その中でもカレーパンは個人的には一押しのものなのです。お話させて下さい。

ロシアのピロシキにも似ていますが、やはりカレーパンだと思います。まあ、それは個人的な好みにもよりますが。カレー自体は特にライスに合わせるだけではないというのは周知のことで、今や珍しくもなんともないのですが、日本でカレーパンが出来たのは“カレーライス”が普及した後のことなのです。ですから、「何故パンに・・・」という考えがあってもおかしくないはず。ここら辺が日本の食文化の凄いところなのでしょうか。そう、パンとカレーを合体させてしまった人がいるんですね、おなじみのカレーパンは日本で発明されたものなのです。
昭和2年の日本で考案されました。(日本に生まれて本当に良かったと思います)当時は「洋食パン」として登録されたとのことです。その“元祖カレーパン”、そもそもカレーパンには水分が多く、焼くのが難しいので油で揚げるようになったそうなのです。それでもやはり揚げ方が悪いと、油の中でパンがパンクしてしまうという問題もあったそうですから、様々な試行錯誤があったことでしょう。
今やコンビ二やスーパーでも簡単に手に入りますし、カレーパンを置いていないパン屋は珍しい気もします。時代は変わったものです。油で揚げているので“パン”ではなく“ドーナツ”という名称が正しいという意見もあるようですが、私は美味しいのならどちらでもいいと思ってしまうのです。

余談ですが、日本以外にカレーパンのようなものがないわけではありません。インドにはサモサという料理がありますし、なによりインドでは「ナン」をカレーと一緒に食べるのですからね。これほどまでに“何”にでも合う料理は他にないでしょう。

日本人とカレーとの出会い

カレーにまつわる話は本当にたくさんあります。ブログのネタには困らないのですが、選別に少々悩みます。日本人とカレーの出会いに関しても諸説あるのですが、代表的なものを紹介します。
1863年、日本にカレーが上陸する前にカレーを初めて目撃した日本の少年がいます。日本からフランスへの遣欧使節の一人、16歳の三宅秀は船でたまたま乗り合わせたインド人が「芋のようなドロドロした不気味なもの」を食べていると文献に書き残しています。彼自身が口にしたという記述はありませんが、“カレーとの出会い”には違いありません。ただしこれは、あくまでも文献での確認が出来るというだけのことで、それ以前に三宅少年の他にもカレーを目にした日本人はいるかもしれないのです。もちろん、見るだけではなく食べた可能性も。
その8年後、初めてカレーを食べた日本人は、のちに日本初の理学博士になる山川健次郎だと言われています。彼は16歳の頃、国費留学生としてアメリカへ渡る船の中でひどい船酔いになり、ご飯が入っているという理由で仕方なく食べたのがカレーでした。その時のカレーを「変な匂いの料理だ」と彼は言っています。
日本人にとってカレーとの出会いはあまり印象がよくなかったようですね。
今となってはとても想像しにくいことです。
もっとも、「美味しそうだ!」という出会いもあったかもしれないのですよ。カレーの歴史を紐解くのもかなり難しいものなのです。

インド~イギリス~日本

江戸時代末期、ペリー来航と共に日本の長かった鎖国が解かれ、様々な国の人や文化が日本へ入ってくるようになりました。イギリスもそのうちの一国でしたが、カレーを日本に持ち込んだのはインドではなく、このイギリスだったのです。
イギリスは大航海時代、インドをも植民地にして大量の香辛料を手に入れると同時に、混合スパイス料理としてカレーを知ります。その後、日本の開国に合わせて入国したイギリス人は貿易港に居留地をつくり、インドで手に入れたスパイスを基に作った欧風のカレーを一部の日本人に紹介しました。このように日本には発祥の地インドからイギリスを経て辿り着いたため、カレーを西洋料理というようになります。
1877年頃になると、明治維新と同時に起こった文明開化が食文化にも影響して西洋料理店が次々と誕生し、ハイカラな食べ物の一つとしてカレーもメニューに載るようになりました。はじめは華族や上流階級の人しか食べられない珍しい高級料理でしたが、大正時代になると、庶民向けの西洋料理店も流行りだし、カレーの知名度は徐々に高まっていきます。
しかし、まだまだ一般的な料理ではありませんでした。日露戦争をきっかけに軍事食として取り入れられ、戦後には元兵隊を通じ一般家庭に広がっていきます。当時はカレーを味噌汁に入れたり醤油を混ぜたりと日本風にアレンジして食べたそうです。日本は外国の様々な部分を吸収し、独自の食文化を築き上げながら日本のカレーも進化させました。第二次世界大戦後、カレーは学校給食に取り入れられ、今や日本の代表的な家庭料理として根付いています。

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